.宇宙の果てはこうなっている. | .第W章 「次元」の正しい理解の仕方. |
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光の速さがどの座標系から見ても同じであれば、もうひとつ、簡単な思考実験で明確に確認できる定理があります。それは 「同時の相対性」 と言われるものです。
またまた秒速 18 万kmという速さで突っ走る超高速列車君に登場してもらいましょう。こんどは光源をちょうど列車の中央に置き、前方と後方に向かってそれぞれ光を発射します。
列車の最前部には A さんが、最後部には B さんがスタンバイしています。
列車の中にいる人から見た現象を考えましょうか。光源から A さん、光源から B さんまでの距離は同じですから、光は最前部と最後部に 「同時に」 到達します。
光が到達すると A
さん、B さんは手を挙げます。中央の光源の近くにいた
C さんは、二人が一緒に手を挙げる姿を目撃することでしょう。
と言うのも、手を挙げた姿が C
さんの目に届くまでの時間もそれぞれ同じだからです。
さて、それを列車の外にいる
D さんが見ます。簡単ですよね。
D さんから見ても光は同じ速度ですが、列車の後端は光源に向かって近付き、前端は光源から逃げているのですから、当然光は後端に先に届きます。つまり
D さんは、A さんより先に B
さんが手を挙げている姿を見るでしょう。
結論はこうです。「ものごとが 『同時に起きる』 という概念は、見る人の立場によって崩れる。」 ということですね。すなわち宇宙では、「同時」 という考え方は、そもそも成立しないのです。
ここから宇宙時空のイメージを捕らえるための根幹の部分に入ります。良いですか、これまで私たちが無意識に考えてきた 「空間イメージ」 からはやや外れた視点が必要になりますので、よーく読んでくださいよ。
アンドロメダ星雲は私たちの地球から
230 万光年離れたところにありますから、私たちが望遠鏡で見ているのは、確かに
230 万年前のアンドロメダの姿です。
では 「今の」
アンドロメダはどうなっているんだろうか。あなた、そう思ったことがありませんか。実は
この問いには全く意味がない のです。
アンドロメダへ確かめに行くにしても、例えば光速の
0.6 倍の速さのロケットで星雲間旅行をすると地球時間では
383 万年かかりますが、ロケットの中では
307 万年に感じます。では 到着したときのアンドロメダは一体いつのアンドロメダなのでしょう。
当然ながら地球とロケットでは時計が違うし、さらにアンドロメダでの時計も基準が全然違うのです。地球時間での
「今」 とアンドロメダの 「今」 は完全に別ものなのです。
と言うより、地球に生きている私たちにとって、現実に存在しているのは
「 230 万年前のアンドロメダ」
であって、「今のアンドロメダ」
というものはそもそも存在しない のです。
ほんの近所にある 11 光年向こうのこいぬ座のプロキオンも、11 年前のプロキオンしか存在しません。それ以降のことは、先ほどの 「ミンコフスキー空間」 の世界線の外になります。認識不能なのです。
「いや、そうは言っても、ただ我々から見えないというだけであって、現に
『今のアンドロメダ』 というものはあるはずだ。そこではアンドロメダ星人がやはり
『今』 を感じているはずだ。」
「アンドロメダの 『今』 と地球の 『今』
とはやはり同じではないのか。 230 万年後には、地球が紀元 2007 年であった当時のアンドロメダが見えるのだから。」
などというのは、「絶対時間」 「絶対空間」
に囚われた誤った発想 なのです。
だって光速に近い速さで走っているロケットから見ると、それがたとえ地球付近から見たとしても、アンドロメダ星雲は
230 万光年よりも近い距離に見えることでしょう。
我々は皆、一緒に地球の上に乗って地球と同じ運動をしているから、誰の目にもアンドロメダが
230 万光年の距離に見えているだけなのです。
確かにアンドロメダ星人にとっても 『今』 があって、230 万光年先に我々の銀河系が見えているのでしょう。(アンドロメダの時計できっちり 230 万年かどうかは分かりませんが。) しかし 「今」 を同時に共有しているのではありません。「地球の今」 と 「アンドロメダの今」 を比較すること自体がナンセンス なのです。 良いたとえではないかも知れませんが、東京タワーの高さは
333 メートルですね。それはどこから測っているのかというと、海面から、すなわち東京湾での平均海面でしょうか。 しかし地球の表面は曲がっています。宇宙空間から眺めれば、東京の海面とフランスの海面は全く違う平面 です。その時、東京の海面とフランスの海面はどちらが高いかなんて、比べる方がおかしな話でしょう。 そもそも基準が違うのです。宇宙各地にはその場所での 『今』 が存在しますが、それを比較しても意味はありません。「同時」 という概念そのものがあり得ない のです。 |
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我々のほんの狭い周辺にのみ 『今』 があります。1光年先には、1年前の空間があります。10 光年向こうに 10 年前の星が存在し、1000 光年先に 1000 年前の宇宙が見えています。遠くになればなるほど昔の歴史を遡って見ていることになります。いや、見えているというより、宇宙そのものがそういう形でしか存在できない のです。
太陽ですら、我々は8分20 秒前の太陽を見ています。もしかするとその後、太陽は爆発して消滅したかも知れません。あはは。でも我々がそれを知ることが出来るのは、早くてもこれから8分後です。
はっきりしていることは、8分20 秒前には確かに太陽は、今見えている場所にあった ということです。言い換えれば 「幻影を見ている」 と表現した方が良いかも知れません。
土星も木星も、私たちが見ているのは過去の映像です。230 万年前のアンドロメダの映像は確認できますが、その後のことについては 「認識不能」 なのです。
実は 137 億光年先の宇宙の始まりについても、私たちは
「宇宙背景輻射」 という形で認識しています。
ビッグ・バン(時空誕生時の火の玉)の際の超高温・超高圧の名残りが、その後の宇宙膨張とともに波長が伸び、137 億年の伝搬の結果、絶対温度3K(−270゚C)の電波となって現在観測されているのです。
地中深く、時系列順に埋まった化石を見ているようなものです。1万年前の化石は存在しますが、1万年前の世界はとっくの昔に消滅してしまっています。
そもそも宇宙とは、そのように周囲に歴史をパノラマのようにばらまいた存在なのです。
空間が時間とは無関係に空間だけで拡がることは出来ない からです。
ただし、宇宙の何処にあってもひとつだけ確実に確かなことがあります。それは
その場所に 『今』
があり 137 億光年先に宇宙の始まりがある ということです。これはどんな場所から見ても同じ事です。
東京から見てもフランスから見ても、海面から
137 億メートルの高さのところに同じ雲が見えているようなものです。
そしてこれから1億年経ったとします。そうすると宇宙の始まりは当然
138 億光年先に移動しています。すなわち私たちは、というより私たちの近辺の空間は、光の速さで宇宙の地平線から遠ざかっています。
これが時空の広がり方です。どこにいてもそのように見えます。
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