宇宙の果てはこうなっている

第V章 そこが宇宙の果てではない

       
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【 第V章 −2】 宇宙の窓が開いた

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 そしていよいよ皆さん、ついにその日がやって来るのです。運命の192310、ジャジャーン、その時、歴史は、動いた!
 「なんじゃそれは。おまえは日本放送協会のまわし者か。」
 いやあ、ハッブルさん、やりましたねぇ。あの
アンドロメダ星雲の中にセファイド変光星を発見!

 「実際に Popular Astronomy 誌に報告を発表したのは 1925 年の月じゃがな。」
 あの視直径わずか
170 秒角くらいの星雲から、よくひとつひとつの星が分離できましたね。しかもその変光曲線まで取るなんて。

 「あまりに星像が小さすぎて、写真を並べるだけでは星の区別が付かない。そこである夜のネガを乾板に焼き付けてポジをつくり、別な日に撮影した何枚ものネガをこれと重ねて変光星を発見していった。約 130 枚の乾板からようやく 22 個のセファイドを同定できたのじゃ。」

 

 これでアンドロメダまでの距離が判明すると思えば、ワクワクされたでしょうねぇ。
 「ひょっとすると偶然
31 と同じ方向にある銀河系内の変光星かも知れんので、近辺の星野写真も丹念に調査したが、セファイドは見つからなかった。」
 あ、そこまで慎重になさったわけですね。


 「そこで、@ これらのセファイドはアンドロメダ星雲の中の星である。 A 無構造の雲状物質による光の吸収は少ない。 B 宇宙のどこでもセファイドの周期光度関係が成り立つ。との三つの仮定を前提にすれば、
アンドロメダ星雲の距離は 93 万光年である と見積もられると書いたのじゃ。」

 この喜びを最初に誰に伝えたいですか。
 「アホか、甲子園の優勝インタビューじゃないぞ。」
 良いじゃないですか。一緒に乗ってくださいよ。

 「ほいほい。えーっとやっぱりお母さんに、じゃねえだろ。いや、マジな話、それまで太陽近傍からまるで はしごを掛けるように各段階での距離測定ものさしが確定されていたから、この発見につながった んじゃよね。」

 ミス・リービッドをはじめ、多くの人の地道な観測の積み重ねなんですね。
 「三角視差法、分光視差法、星団運動視作法、こと座RR型同定法などのうち、どれかひとつでも不確かなままのものがあれば、このセファイド型変光星はものさしになり得なかった。」

 「それと ジョージ・ヘール(18681938George Hale 殿じゃ。」
 えーっと、ヘールさんと言いますと、あのヘール天文台の。

ウィルソン山天文台 60インチ望遠鏡

 「彼が 1917 年にカーネギー財団の寄付を得て、ウィルソン山天文台に口径 152 cmと 258 cmの反射望遠鏡を完成してくれていた。わしはこの世界最大級の望遠鏡を思う存分に使うことが出来た。」

 たしかハッブルさんと同郷のシカゴ出身の方ですよね。
 「おう、わしの大先輩じゃ。当時ヘールの債権者達からは、見返りの少ない天文学になぜこんなに巨大な金額を投じるのかとの批判もあったらしい。」

 そりゃぁ、天文台を作っても金儲けにはなりませんよね。
 「彼はその後もパロマ山天文台に口径
メートルという、とてつもない望遠鏡の建設に着手したが、完成を見ずに 1938 年に亡くなられた。その時にはほとんど無一文になっていたと言う。」

 うわぁ、私なんかメートルの天文台どころか、50 cmのテレビ台ひとつ買うのでも、何日も悩んで考え込むのにね。
 「しかし
これだけの解像度の望遠鏡がなければ、とてもアンドロメダを恒星に分離することは出来なかった であろう。」

 

 それまではこの銀河系が宇宙の全てであると思われていたんですが、この星雲はその外側にある別の銀河であったことがこれではっきりした。まさに 人類の宇宙観を根底からくつがえす衝撃的な大発見 でしたね。
 「そう。このように人類の英知を未知の領域に押し進める天文学の研究は、経済利潤などには変えられない崇高な価値を生み出しておるのじゃ。」

 ところでしかし、ハッブルさん。アンドロメダ銀河までは 93 万光年だったのですか。
 「わしが出した値ではな、そう
93 万光年じゃった。その頃の光度周期関数の式を使ったからな。」
 と言うことは、その後、式の係数が変化したんですね。

 「わしの死後じゃが、バーデ (18931960Wilhelm Heinrich Walter Baade 君が、セファイドには若い星の種族 I に属するものと、年老いた星の種族 II に属するものがある事を見つけた。また、星の色による絶対光度の違いも修正された。」

 「こうしたことによって、セファイド関係式の比例係数がほぼ倍となった。おぬしが高校生の頃に読んだと言う百科事典の 175 万光年というのがその当時の名残りじゃろう。」

バーデ (1893-1960)
Walter Baade
 
ドイツ生まれのアメリカの天文学者。
1932年からウィルソン山
天文台に移り、ハッブル
らとともに銀河の観測に
取り組んだ。

 あ、ほんとだ。93 万光年のほぼ倍ですね。

 「さらに宇宙空間における光の吸収や、銀河系内の暗黒物質による吸収の度合いなどが多くの研究者によって定式化され、それらを勘案した結果、現在ではアンドロメダ星雲までの距離は 230 万光年に定着しておる。」
 先ほど読者の方から質問があったのですが、この値はもうこれ以上大きく変わることはないんでしょうか。

 「値が書き直されることはそれはあるじゃろ。何時になっても科学技術は進み続ける からじゃ。しかしもう今では、星間物質による吸収が比較的少ない近赤外線でもきっちり観測されておるから、今後の誤差は 10 %くらいの範囲に収まるじゃろうて。」

 

 「それにもうひとつ、言わせてもらっても宜しいかな。」
 何でしょうハッブルさん、そんな他人行儀な。どうせ駄目だと言っても喋るんでしょう。

 「宇宙の距離を測る研究には、系外銀河の中に表れる変光星や新星の地道な観測が欠かせない。実は それらの観測の多くの部分を、アマチュアの観測家が担っている のじゃ。」
 アマチュアがですか。

 「そうじゃ。プロの天文学者と言えども天文台は共有なので、望遠鏡を長時間自由に独占できるとは限らない。わしらの頃は学者の数も少なかったがな。今どきのプロ学者は、突発的な変光、新天体への即応、広い領域の索天、長時間の継続観測などは苦手な分野なんじゃな。」

 なるほど。変光星や新星の発見には、かえってアマチュアの方が有利なんですね。


 「特に
日本の天文愛好家の人々は、機材や観測技術のレベルが高いので評価されておる。わしがあれだけ苦労したアンドロメダのセファイドも、今おぬし達が持っている望遠鏡とCCDカメラなら簡単に捕らえられるじゃろう。東欧や旧ソ連などでは考えられん事じゃ。しかも治安も安定しているから夜間の長時間観測に何の支障もない。アマチュアが活躍できる環境が整っているのじゃ。」

 そう言われると、東は太平洋、西は観測点の少ないアジア大陸に挟まれているんですから、欧米のプロ学者がカバーしきれない時間帯の観測や発見に、寄与できる可能性が大いにありますね。

 「そうした人たちが観測したデータが、宇宙の広さや年齢を決めるための大きな手がかりになっている。これ以上日本の空の透明度が悪化しないように、そして多くの若い人たちが星空の観測に興味を持ってもらえるよう、祈るばかりじゃ。」

 はい。過度なネオンなどの光害でせっかくの観測環境を壊さないように、皆できれいな星空を守っていく必要がありますねぇ。
 

 さあ、みなさん、いかがだったでしょうか。第U章第節では 「今の 230 万光年も信用できない。」 と言う読者の方もおられたようですが、アンドロメダの 230 万光年、これで納得して頂けたでしょうか。

 「納得したら合点ボタンでも押させるつもりじゃないのか。」
 いえいえ、ここは日本放送協会ではありませんって。だいたいあの番組、「合点しないボタン」 ってのがないこと自体、どうも腑に落ちないんですよね。

 さて合点して頂いたところで、何と何と、実は これからがハッブルさんの真骨頂。驚愕の観測成果のご披露本番 なのです。これまでのことはその前準備でしかなかったのですね。

 「いっひ、いひ、いひ。またわしをおだてようとでも言うのか。」
 さ、時間もないので先を急ぎますよ。

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